本稿では、筆者が2016年から2025年までのおよそ10年にわたりアマゾン ウェブ サービス(AWS)の金融セグメントにおける事業開発に携わった経験に基づき、クラウドサービスが金融ビジネスにおいてどのように活用されてきたのか、その重要性、そして生成AIを見据えた今後の展望について概観する。なお、本稿では筆者の経験から主にAWSの取り組みや実績を中心に解説するが、クラウドが金融ビジネスにもたらすインパクトについては、AWSだけでなく主要なクラウドサービスにも共通するものであると理解されたい。また、本稿で引用する事例は公表情報に基づいているが、AWSをはじめとするクラウド各社の最新の取り組みや事例については、各社の最新情報を参照していただきたい。
日本の金融産業におけるクラウド活用の現在地
日本の金融産業におけるクラウドの活用は、アマゾン ウェブ サービス(AWS)が2011年に「東京リージョン」[1]を開設して以来[2]、着実に広がりを見せてきた。その後、マイクロソフトは2014年に[3]、Googleも2016年に日本のデータセンターを開設し[4]、日本におけるクラウドの選択肢は拡大した。金融産業におけるクラウド活用の広がりは大きく3段階に整理できる。
第一ステージ(2011年~2016年):低コストのITリソース
2011年にAWSの東京リージョンが開設された当初、クラウドは低コストのITリソースと見なされ、可用性・セキュリティー要件が比較的低いノンクリティカルシステムのためのインフラとして利用が始まった。一方で、クラウドの登場は、低コストでスケーラブルなリソースの提供を通じて、多くのFinTech企業のビジネスの立ち上げを可能にした。また、この期間にシステム開発会社とクラウド事業者の協力の下、金融領域で安全にクラウドを活用するためのガイドライン策定の取り組みが進められた。
第二ステージ(2017年~2020年):金融サービスのインフラ
2017年に三菱UFJフィナンシャル・グループがクラウド採用方針を公表したことは[5]、クラウドが金融サービスのITインフラとして認識されるに至ったことを示す象徴的な出来事であった。クラウド事業者は各社のセキュリティーや可用性を強化するとともに、日本の金融サービスにおけるクラウド利用のガイドラインを継続的にアップデートしてきた。また、2014年の開設当初から東西にデータセンターを構えていたマイクロソフトに加え、AWS(2018年)[6]、Google(2019年)[7]がそれぞれ関西圏にもデータセンターを開設したことで、大手クラウド事業者において広域災害に耐え得るシステム構築が可能となった。その結果、2017年頃からは日本においても、大手金融機関の金融業務システムにおけるクラウドの大規模活用の事例が出るようになる。
第三ステージ(2021年~):ビジネスの競争力の源泉
2020年からの新型コロナウイルス感染症の流行は、金融サービスにおけるデジタル活用を社内業務においても顧客サービスにおいても加速させる要因となった。その結果、デジタルの活用は、金融機関のIT部門だけでなく経営層の主要課題として位置づけられ、社会環境の急速な変化に対する柔軟性や俊敏性を提供するクラウドサービスは、金融ビジネスの競争力の維持・強化における重要な手段となった。クラウド活用がビジネス戦略と結びつく中で、金融機関における活用範囲は、取引チャネル、融資、トレーディング、決済サービス、基幹システムといった、セキュリティー、可用性、処理スピードなどの観点でクリティカルな金融サービスの領域まで拡大している。
クラウド活用がもたらしたビジネスインパクト
クラウドを活用することによるビジネス面でのメリットには、コスト抑制やアジリティー向上といったビジネスパフォーマンスに直結する効果に加え、先進テクノロジーの活用を通じたデジタル人材の育成や、効率的なリソース活用による環境負荷の低減といった間接的な効果がある。
コストに関しては、クラウド事業者は、そのスケールメリットによる調達力と、利用した分だけ支払う従量課金によって、金融機関のITの総保有コスト(導入から維持運用までにかかる全費用)削減に貢献する。例えば、農林中央金庫は、2022年にJAバンクの情報系システムをクラウドへ移行したことにより、13年間で100億円以上のTCO削減を見込むとした[8]。また、クレディセゾンはIT資産のクラウド移行を進める中で、10年間で38億円のコスト削減を見込む[9]。
アジリティーの観点では、クラウドサービスは、その豊富なリソースと、クラウド上に利用可能な部品として提供されるサービス群により、金融機関がサービス開発を加速させたり、需要に応じて柔軟に拡張することを容易にする。SBI証券は、2024年3月に国内株式のオンライン取引システムをクラウドに移行した。これにより、1日約360万件・2兆円超の発注処理を支えつつ、キャパシティーの拡張期間を自社設備で運用していた時代の半分以下に短縮し、急激な取引増加への対応力を高めた[10]。また、JPX総研は2022年からのカーボン・クレジット市場の取引システム開発において、自社で設備を用意すれば1年半かかるところをわずか3.5か月でのリリースを実現している[11]。
また、クラウドの活用は、IT人材が先進のテクノロジーに触れることで金融サービスのデジタル化を加速させる効果を持つ。これに加え、ビジネス部門の人材がクラウドの持つビジネスメリットを理解することにより、クラウドを活用してビジネスインパクトを生み出すことが可能となる。例えば山梨中央銀行では、開発コストの抑制とスピード向上を狙いIT部門による内製開発に取り組むとともに、ビジネス部門の起案でデジタルを活用するアイデアが生まれるといった効果を上げている[12]。
クラウドの活用は環境負荷の低減に対して、直接的な貢献に加え、クラウド上で構築されるサービスによる間接的な貢献がある。直接的な貢献は、金融機関が個々のデータセンターからクラウドへシステムを移行することで、ITリソースや電力消費が最適化されることである。また、クラウド上のサービスを活用することで、前述のようにJPX総研がカーボン・クレジット市場を短期間で構築したり[13]、企業が環境負荷に関わるデータ分析を効率化するといった効果が挙げられる。
クラウドの実現するビジネスレジリエンス
金融庁が2025年に「金融分野におけるITレジリエンスに関する分析レポート」を公表したことに象徴されるように[14]、金融サービスの安定性に関する考え方は、障害そのものをゼロにすることから、金融サービスの受益者の視点に立ち、障害発生時のインパクトを最小限に抑える回復力(レジリエンス)へと転換しつつある。
その背景の一つには、ITシステムが、全てを自らコントロールできる単一のモノリシックなアーキテクチャーから、社内・社外のさまざまなサービスを連携させてシステムを構成するマイクロサービス・アーキテクチャー(小さなサービスの集合体)へとシフトしつつあることがある。つまり、特定のシステムのみの障害をゼロとすることを目指しても、想定外の事象は発生し得るため、いざそうした状況が発生した場合の備えがないとネガティブなインパクトが甚大になる。また、想定外の事象については、システム障害のみならず、地震や火山の噴火などの自然災害、パンデミックのような急激な社会変動、あるいはサイバー攻撃など、さまざまなものが考えられる。
クラウドは、こうした想定外の事象に対するレジリエンス向上に貢献できるインフラストラクチャーを提供する。大手のクラウドサービスは、そのインフラストラクチャーが複数のデータセンターで構成され、東阪にデータセンター拠点を構えていることにより、広域障害や自然災害への耐性を提供する。また、サイバーセキュリティーの観点では、クラウド事業者に蓄積されたサイバー攻撃に関する知見が防御対策に活用されることに加え、そのスケールによりDDoSのような大規模攻撃に対して有効な緩和策を講じることが可能となる。個社でこうしたレジリエンス向上の施策を講じるには莫大なリソースと高度なスキルが求められるが、これをクラウドサービスに一定のレベルでオフロードすることが可能となる。
クラウドの提供するレジリエンスに対する理解が深まる中で、近年では、ネット銀行や地域金融機関が勘定系システムを、東阪リージョンを活用して稼働させる事例が相次いでいる。また、日本取引所グループは、上場会社の適時開示情報伝達システムである「TDnet」という高い可用性が求められるシステムをクラウドで構築することを発表したが、その狙いの一つとしてレジリエンスの向上を挙げている[15]。このような基幹業務領域におけるクラウド活用は、周辺領域に限定した活用と比して、金融商品の開発のスピードやサービスの利便性向上へより大きなインパクトをもたらすこととなる。
生成AIの活用におけるクラウドの役割
2023年は生成AIの有用性や課題の検証が行われたフェーズであったが、2024年以降は、生成AIを業務プロセスに組み込み、組織横断的に活用する実ビジネスへの適用フェーズへと移行し、現在はエージェンティックAIの活用による業務プロセスへの組み込みが実装フェーズに入ろうとしている。
クラウドは、一方では大規模言語モデルを提供するAI企業がモデルを開発するための計算リソースの提供元として重要な役割を果たす。もう一方では、それを活用する個々の企業がモデルをチューニングしたり、そのモデルを活用して処理を実行する「推論」と呼ばれるプロセスをサポートするリソースを提供する。また、単なる計算リソースとしてだけでなく、複数のAIモデルを呼び出し、安全な環境で企業独自のデータと連携させる「生成AI活用のプラットフォーム」として重要な役割を担う。特に、精度の高いアウトプットを得ようとすると、その企業固有のデータや業務システムとの連携が必要となるが、データやアプリケーションがクラウドへ移行されていく中で、AIサービスをクラウド上で実装することのメリットは大きくなっている。また、統一的なプラットフォームで処理を実装することで、モデルやデータに対する横断的なガバナンスの仕組みを構築しやすくなる。
例えば、みずほフィナンシャルグループは、クラウド上で複数の大規模言語モデルを利用できる構成とすることで、「金融機関に求められる信頼性・監査性・権限統制を担保しつつ、複数のエージェントが協調して業務を遂行するマルチエージェントシステムを実現」するとしている[16]。
最後に
ここまで見てきたように、クラウドの活用は、コスト抑制やアジリティーの向上を可能にするだけでなく、金融機関において主要な経営課題であるレジリエンスの向上やAIの活用の観点からも不可欠なインフラストラクチャーとなっている。
そのため、クラウドの活用に関わるビジネスインパクトへの理解は、IT部門だけでなくビジネス部門においても深めていく必要がある。そのビジネスインパクトは、ビジネスパフォーマンスに対する効果と同時に、リスク評価やガバナンスの観点を考慮する必要がある。 金融機関の経営者がこのような理解の下でリーダーシップを発揮することによって、社内の人材育成を含めた投資が可能となり、また、適切なガバナンス体制を構築することができるようになる。これらの両輪がそろうことによって、初めてクラウドのポテンシャル、およびその先にあるビジネスパフォーマンス、レジリエンス向上が見込まれ、AI活用を競争力強化へとつなげることが可能になる。
[1] AWSのリージョンは、一つ以上のデータセンターを有する複数のアベイラビリティーゾーンで構成されている。
[2] https://aws.amazon.com/jp/blogs/aws/now-open-aws-region-in-tokyo/
[3] https://news.microsoft.com/ja-jp/2014/02/25/2014-20/
[4] https://cloudplatform-jp.googleblog.com/2016/11/tokyo-region-now-open.html
[5] https://www.nikkei.com/article/DGKKZO11980880R20C17A1NN7000/
[6] https://aws.amazon.com/jp/blogs/news/osaka-local-region-launch-2018feb/
[7] https://cloud.google.com/blog/ja/products/gcp/google-cloud-launches-new-osaka-region-to-support-growing-customer-base-in-japan
[8] https://aws.amazon.com/jp/solutions/case-studies/nochu-bank/
[9] https://d1.awsstatic.com/case-studies/jp/pdf/CREDIT_SAISON.pdf
[10] https://aws.amazon.com/jp/solutions/case-studies/sbi-securities/
[11] https://aws.amazon.com/jp/solutions/case-studies/jpx/
[12] https://aws.amazon.com/jp/solutions/case-studies/yamanashi-chuo-bank/
[13] https://aws.amazon.com/jp/solutions/case-studies/jpx/
[14] https://www.fsa.go.jp/news/r6/sonota/20250630-2/20250630.html
[15] https://www.jpx.co.jp/corporate/news/news-releases/0060/20251105-01.html
[16] https://www.mizuho-fg.co.jp/release/pdf/20251201release_jp.pdf